Hi Betty!

舞踏会にて #2

結局クジャが戻らぬまま一曲目のカドリールが終わり、次の曲が流れ始める。二曲目はワルツ。クジャが言うには数ある舞踏曲の中でもワルツは人気が高いらしく、彼に至ってもこれが1番好きだとのことだ。しかし、曲が流れていても彼自体がいなければ意味はなかった。私は先程と変わらず、壁際で手を取り合って踊る男女を眺めている。つもりだったが、予定通りに事は進まなかった。

「君みたいな美人が壁の花だなんてもったいない。よかったら一緒にどうかな?」

片膝を付いて手を差し伸べるのは、栗色の柔らかい髪質の青年だった。さっきのカドリールで先陣を切って中心で踊っていたことから、貴族らの中でも身分の高い家の生まれなのだろう。いわば、今日のメインといったところだろうか。女性にも受けそうな顔立ちをしている。私は始めから相手がどんな人物であろうと断るつもりだった。

「ごめんなさい。私、ダンスはあまり得意じゃないの。」

それが全てではないが、嘘でもない。これで察してもらえると思っていた。だが、そう思い通りにはいかなかった。

「大丈夫さ。こういうのは、男の腕次第。僕に任せてよ。」
「えっ、ちょっと待って…」
「待たない。」

彼は半ば強引に私をダンスの輪に引きずり込む。相当自信があるのか、満面の笑みを浮かべている。こうなってしまった以上、もう後戻りはできないのだろうと私は悟った。

「後悔しても知らないんだから…。」
「だから大丈夫だって。もしかしてこういう場で踊るのは初めて?」

私は頷く。やはりこの手のダンス特有のスキンシップは落ち着かない。握り合った手と背中に回される腕にどことなく体を強ばらせる自分がいた。

***

「なんだ、最初にしてはなかなか上手じゃない。何回か足にヒールが刺さることは覚悟してたんだけど、この分なら問題なさそうだね。」
「男の腕次第なんじゃなかったの?」
「それぐらい言わないと踊ってくれないんじゃないかと思ってさ。」

ステップを踏みながら彼は笑う。なんだかんだ言いながらも、彼が私に無理のないようにリードしてくれているので、ダンスもわりと楽しいのではないかと思い始めている。

「そういえば君、クジャと一緒だっただろ?余計なお世話かもしれないけど、彼には気をつけた方がいいかもしれないよ。」
「…気をつける?」
「もちろんいい噂も聞くけれど、怪しい話も結構あってね。特に女性関係はちょっと…。まあ、あくまで噂だから、嘘も多いんだけどさ。」
「…うーん。」

女性関係、か。先程、クジャに声をかけてきた小柄な女性ともそういった類の話なのだろうか。見たところかなり怪しい匂いがするが。無論、私はクジャから女性関係の話を聞いたことはない。しかし、彼も若い男である以上はそういった心を持っていても何ら不自然ではないだろう。まだ、クジャは彼女と一緒なのだろうか。今まで忘れかけていた心細さのような感覚がふと蘇ってくる。

「ごめん、不安にさせた?」

疑ってかかるつもりもないが、眉尻を下げた困ったような笑みが、本当に申し訳なさを表すものなのか私には判断がつかない。ただ、途方もない迷宮に入り込みそうになる意識を目の前の事柄に移させるのには、充分な取っ掛かりになった。

「大丈夫。…ねえ、もっと難しいのしてみたい。」
「ダンス、少し面白くなってきたんだろ?」

嘘はけして得意とは言えない。しかし、感情を取り繕うことには多少の慣れがあった。大丈夫の言葉は半ば自分に言い聞かせるようなものだった。一呼吸おいて懇願すれば、会話に気をとられて単調だったステップが、突然脈が動き出したかのように軽やかな足取りに変わった。彼は口角を上げてみせる。ついてこれるかなとでも言いたげな挑発的な表情に口元が歪んだ。

***

「君、運動神経いい方だろ?」
「へ…?それはどうだろう。」

握り合っていた手が離れる。曲が終わってすぐの突拍子もない質問に戸惑いつつも曖昧に流す。確かに武術の心得はあるが、舞踏会の場でそれを申告することはどうなのかと思ったからだ。

「なんだか、動きを掴むのが早いと思ってさ。ほら、パートナーがお待ちかねだよ。」

彼の視線の方を見れば、ワイングラスを片手に年配の女性と会話するクジャの姿があった。お待ちかねと言われたはいいが、いきなり介入していいものかと躊躇していると、私のやりにくさを感じて気を利かせたのか、“ついでに僕も挨拶してこようかな。”と彼が手を引いてくれた。そんな私たちに気づいてクジャは女性との会話を切り上げる。

「やあ、クジャ。彼女、借りてたよ。」
「ああ。遊び人に食われる前に回収させてもらうよ。」

たった今まで踊っていた彼は、丁寧にお返しするかのように私をクジャに預け、クジャは私の腰を抱くように受け取った。勝手に他の男に付いて行ったことに気を悪くしていないか心配だがこの場で聞くわけにもいかないので黙って隣に居座る。

「君だって大差ないだろ?」
「君よりは節操を持ち合わせているよ。」
「ところでその子、どこから連れてきたの?見たところ貴族の出じゃないよね。あっ、みすぼらしいとか言いたいわけじゃなくてね。見ない顔だからさ。」

両方ともそんなに女癖が悪いのかとふと気になったが、その後の、栗色の髪の彼の言葉にひやっとさせられる。必死に誤魔化し文句を考えるが、焦るせいか頭が上手く回転しない。

「変なのに目をつけられたね、#name#。」
「へえ、#name#っていうんだ。安心して、君が別にどんな身分だろうと内緒にしとくからさ。ところで、カルロッタ、なかなか面倒だろ?」
「君、全部見てたのか。」

唯一、頼りであったクジャも助け船はくれず、どうなるかと思えば、有り難いことに目の前の彼に理解があったようでなんとか最悪の事態はしのげたようだ。そして、再び会話の流れが変わり、女性の話になる。恐らく、先程までクジャと一緒にいた小柄な女性だ。

「だって、君が女性と同伴で来るなんて珍しいんだもの。お陰でついにカルロッタに感謝する日が来ちゃった。僕も昔、彼女には困らされたからさ。」
「それはよかったよ。僕にとってはとんだ災難だったけれど。」
「ははっ。相当神経をすり減らされたみたいだね。」
「君にもだよ、クリストフ。」
「それは悪かった。#name#、もしクジャの女遊びに辟易したら僕のところにおいでよ。」

突然話を振られ、言葉に詰まっている間にクジャが、“僕で辟易されるくらいなら、君なんか一日で根を上げられるよ。”と口を挟んだ。他の貴族と話しているときの愛想を振り撒くような態度もクリストフといった彼の前では、いつもの冷めた調子に戻るのが私には落ち着いた。しかし、クリストフは何とも調子のいい男に思える。クジャの女性関係が怪しいと言いつつ、会話を聞くところ当の本人もだいぶ遊んでいるのではないか。それがまあ彼の気さくさを出しているわけだが。

「それじゃあ、邪魔者はそろそろおいとましようかな。#name#、君と踊れて楽しかったよ。また縁があったらお相手を頼むよ。」「うん。こちらこそありがと。いい練習になったわ。」

握手を求めるクリストフの手を握り、互いに別れの際の挨拶を口にする。

「練習か、手厳しいなあ。」
「あっ。」

笑いながら頭を抱えるクリストフ。私ははっとして口に手をあてた。そういう意図があったわけではないのだ。“じゃあ、また。”と手を振る彼に手を振り返し、私はクジャを見やる。

「あいつ、何しに来たんだ…。#name#、貴族にはああいうろくでもない奴がいっぱいいるんだ。気を付けなよ。」
「クジャにも?」
「…細かい話は後でだ。とりあえず、本番といこうか。」

私はクジャに手を引かれ広間の中心へと向かった。