Hi Betty!

sleeping beauty

待ちに待った舞踏会の日が訪れた。
私は予定通り、クジャの同伴として受付を済ませた。
身分について何か聞かれたらどうしようかと、内心気が利きではなかったが、取り越し苦労に終わった。
受付のいかにもそれらしい蝶ネクタイと白い手袋をした男性は、簡単に挨拶をすると視界に入った蝶を追うように招待状を確認し、にこやかな顔で会場へと通してくれた。
こんなに手短に済ませてよいものかと心配になったが、女王陛下への謁見とは違うのだ。

「よかったじゃないか、疑われなくて。」
「そうなんだけど、心配なのはこれからよ。…胃がキリキリする。」
「それはそれは、苦労が絶えないね。」
「他人事ね…。」

会場のホールでは至るところには絵画が飾られ、アーチ型の天井からはシャンデリアがいくつもぶら下がっていた。
他の招待客は、所々に塊りをつくり各々会話を楽しんでいるようだった。
その塊りの区分が概ね血の繋がりであることは、感覚的に理解ができた。

「ねぇ、聞きたいの。同伴って必要だったの?親と来てる子ばっかり。」
「家柄がかかっていたら親も目を離せないだろうね。それに、同伴が必須だなんて言った覚えはないけど。」
「…それ、先に言ってよ。私、どういう立場でいたらいいの?」

例え、受付の確認が象だって通れるくらい甘かったとしても、ここで身寄りがないことは悟られたくなかった。
全てが嘘であるかのように作り込まれたホールには、彼の涼しげな横顔がよく映えていた。
少年少女の保護よりも奴隷の卸売りの方が彼のその雰囲気によく馴染んでいるように思う。
今はきっと私も作り込まれた嘘の一部なのだろう。

「そうだ、#name#。忘れてたよ。」

クジャは私の質問になど気にも止めず、徐に小さな箱を取り出し、その中心に佇む白い光沢をつまみ上げた。
眠りから起こされたばかりの、小さなそれは煌びやかなシャンデリアの光を浴びても尚、その控えめな装いを崩すことはなかった。
クジャはわざとらしいくらい丁寧に私の左手をとると、薬指へと指輪を通した。
よく見ると指輪には五つ並んだパールを挟むようにして青い宝石が散りばめられていた。

ー眠り姫

私がこの指輪に抱いた第一印象だった。
だが、そんな能天気なことを考えていられるのは束の間だった。

「知ってるかい?特別な人にしか贈らないんだ。」

眠り姫が佇む指先が、静かな囁きに呑まれるかのように引き寄せられた。
彼は許可を求めるように私を一瞥し、会釈をする要領で唇を触れさせた。
グローブ越しに伝わる彼の温度は冷えた指を温め、より一層硬らせた。
承諾した覚えは一切ないが、洗練されたその振る舞いには言葉を挟む隙などなかった。
彼はスマートな紳士を完璧にこなしていた。
今の口付けでお姫様も目が覚めるのだろうか。
さぞ、喜ばしいことだろう。
目を覚ましてみれば、色とりどりの貴族と訝しげな視線に囲まれているのだから。
少し間を置いて胸の内のわだかまりを落ちつけた私は、彼の手を引き、耳を貸すよう促した。

「言いたいことが多すぎるから全部言うけど、私の身分知ってる?これから何を言われるか想像つく?そもそも、どうして今なのよ。周りのこの視線の意味、わかるでしょ?それと、なんで私の指のサイズ知ってるの?あ、待って……、それ、お揃い……、いつ準備したのよ…」

私はクジャの左手薬指に似たデザインの指輪があることに気づき、確かめるように手を伸ばした。
見れば見るほど、紛れもなく併せて造られたものだった。
もし誰かに聞かれたらどう言い逃れしたらいいのものか、考えてはみたが何一つ思い浮かばなかった。

「驚くほど喜ばないね。予想はしてたけど。」
「………ありがと。」

私は艶めく薬指のパールを見つめながらお礼の言葉を口にした。
忘れかけていたが、世間では人から贈り物を貰ったらお礼を言うのが常識なのだ。

「教えてあげようか?無防備に男の部屋で眠ったりすると、こうなるんだよ。」

クジャが言うタイミングがいつなのかは、はっきりと思い出せた。
今でも頭が眩みそうになる夜の話だ。
きっとワインの甘さと舌に残る焼きつくような感触で神経がおかしくなってしまったのだ。
それにしても、たったの一週間でよく準備をしたものだった。
行動が早いと言えば聞こえがいいが、その勢いには気後れを感じていた。
もちろん大変申し訳ないとは思っている。一応は。

「すごくよくわかった。」
「ふふ。ところで、こんなに近づいていていいのかい?側から見たら、どう見られるのかな。」
「………。」

クジャは瞳を細め、わざとらしく笑みを浮かべた。
彼の左手を握りしめたまま、耳元に口を寄せて話す姿がどう見られているのか。
私は何事もなかなったかのように、彼から身を背けた。

その後はすぐ、我が子を引き連れた貴族諸侯が挨拶と称して代わる代わるやってきた。
できれば関わり合いたくなかったが、クジャはそれを許さなかった。
彼は腕に添わせた手が離れる度に定位置はここだとさりげなく促し、

「そちらの女性は?」

と聞かれれば、

「僕の大切な人です。」

と答えた。

その時の背筋を走り抜ける冷ややかさといったら。
当分の間、忘れることはできないだろう。

しかし、何度も同じことを聞いていると、諦めの方が勝るようで相手の反応を観察することが退屈凌ぎとなった。

女性陣は、
仲が睦まじくていらっしゃるのね。
婚姻のご予定でも?
こういう場は慣れていらっしゃらないのかしら。
などと嫌味の込められた反応が多く、

男性陣は、
おや、妾を作るのがお早いようだ。
貴公のような才覚をお持ちであれば、家同士の繋がりなど、傷の舐め合いに過ぎないのかもしれぬな。
婚姻と愛は必ずしも等価にならない。若いうちにこそ楽しまれるといい。
などと、口にしていた。

挨拶の波が落ち着いた頃、

「一応、まかり通りはするみたいだね。」

と彼は呟いた。
クジャがここまで強気に出た理由もなんとなくはわかっていた。
話の素振りから伺うに、貴族たちの間では愛妾がいることは珍しいことではないようだった。
彼もそう見られることを知っていたのだろう。
とはいえ、正式な相手が決まってもいないのに、こうも公にしてしまうのは軽率なように思えた。
家柄としては優位ではあるので、その価値が目減りすることはないだろうが、印象のよくない行為であることには違いないのだ。

「みんな揃って妾がどうとかって言ってたけど、どう見たってしっくりこないじゃない。…本命はもっとしっくりこないと思うけど。」

言葉から連想される妾の姿と自分の様があまりにかけ離れているので、違和感から一巡して面白さすら感じていたが、実際には妾にほどなく近い位置づけなのかもしれない。
彼が求めている関係性は恐らくそういったものなのだと思う。
何を意図したわけでもないが、私の視線は自然と左手薬指の仄かな煌きに向いていた。
御伽噺の世界なら、長い眠りから覚めたお姫様は王子様と生涯幸せに暮らすのだろう。
でも現実は御伽噺にはならないのだ。
眠りから覚めたお姫様がどんなに鮮明でどんなに美しかったとしても、時間と共に色褪せてしまう。
お姫様ですらない私がどうなるかを想像するのは、糸車の針に触れるくらい簡単なことだった。
わかっているのだ。
わかっているのに私は彼を無下にすることはできないし、居心地のよさを感じる時さえあった。
だから、最後は決まって懐柔される。
気づいた時には、全てが絡めとられて抜け出せなくなっているのかもしれない。

「でもね、納得はできるの。」
「どういう風にだい?」

何の変哲もないいつも通りの口調に聞こえるが、どことなく彼の声色に苛立ちが込められているような気がしてならなかった。

「だって、利害を考えたら………」
「君が考えることじゃないよ。」
「…聞いたのはクジャじゃない。」

私は当然のことを言っているはずだ。
なのにどうして彼は不服なのだろうか。

「…特別だって言ったはずだけど。」

クジャは私の左手に手を滑らせた。

「ねぇ。」

彼の視線は突き刺さりそうなくらい、私を真っ直ぐに捉えていた。
私はそれを直視することができず、俯くことしかできなかった。

「………やめた、今じゃない。」

クジャは何かを言いたかったようだが、興味が失せたと言わんばかりに顔を背けた。
彼が見るべきなのは、まだ微睡の中にいるブルーではなく豪勢なシャンデリアのゴールドなのだ。