Hi Betty!

dress up doll

私は見慣れない天蓋付きのベッドの上で目を覚ました。
陽の光が目に刺さる中、昨晩の記憶を辿るのにさほど時間はかからなかった。
クジャとビリヤードをして、ワインを飲んでいたのだ。

-それから…。

不幸なのか幸いなのか、私の記憶は鮮明だった。
記憶が蘇れば蘇るほど、臓物が冷えていくような感じがした。
私は自室に帰る前に眠ったのだ。
ビリヤードルームのソファ、クジャの胸に頬を埋めてそれはもう心地よく。
眠った後のことは、当然だがわからない。
ここは恐らくクジャの部屋で彼が私をここに運んだと考えるのが妥当だろう。
彼に会ったら、どんな顔をして話せばいいのだろうか。
私には心の準備が必要だった。
私は天蓋のカーテンを掻き分け、ベッドを降りる。
できることならクジャが戻る前にここを出たかった。
そして、ドアノブに手をかけた瞬間、扉が手前にもっていかれた。
私はまだドアノブに力をかけていなかった。
つまり、間に合わなかったのだ。

「おはよう、#name#。よく眠れたかい?…って、聞くまでもないんだけどね。」
「…おはよう。えーっと…やっぱり私、そのまま寝ちゃったんだ。」

期待はしていなかったが、昨日のことは夢だったという僅かながらの可能性は潰えた。

「一応、起こしはしたよ。でも君が一緒に居たいって言うから連れてきたんだ。」
「………なにそれ、覚えてない。」
「半分寝ぼけてたからね。」

私は額を押さえた。
もう当分、酒はいらなかった。

「三千年に一回あるかないかくらいの親切をした気分だよ。だから君が無事に朝までゆっくり眠れたってわけさ。」
「ふぅん、そういう人なんだ。ほとんど奇跡に近いじゃない。」

そういったことには及ばなかったことには安心した。
私といて何も思うことがなかったということなのかもしれないが、それはそれで問題ない。

「我ながら驚いてるけど、たまには寝顔の観察もありかもね。…ふふ。」

彼は言いながら、思い出したように笑い声を漏らした。

「…え、なんかしてた?」
「それは内緒だよ。」
「……………。」

そういった行為に比べたら大したことではないが、あまり見られたいものではなかった。
彼は楽しそうだが、この件は掘り下げない方が幸せだと私の本能は感じていた。

「ところで、ドレスだ。」
「来週だっけ?」
「仕立ては間に合わないから、サイズが合うのを買わないといけないね。」

ドレスの準備については、オーダーすれば最低でも一ヶ月はかかる。
クジャの言う通り、当日には間に合うはずもなかった。

「私は着れればなんでも。」
「そういうわけにはいかないよ。そうだねぇ、この辺だと三軒くらいは見て回りたいところだ。」
「そんなに回るの?」

一軒で何着試着するのか、一着何分かかるのか、計算しようとしたが途中でやめた。
答えを出したところで、実際の時間と一致するわけもないし、時間を考えたら気が滅入りそうになると気づいたからだ。
彼の着せ替え人形になる姿を想像するのは容易だった。

***

「ねぇ、もう充分だと思うんだけど。」
「そんなことありませんわ。しっかり絞ってあげた方がウエストが綺麗に見えますのよ?」

私はフィッテングルームで女性二人に取り囲まれコルセットを締め上げられていた。
ガーネット姫の着付けを手伝う時は私もコルセットはきつめに締めるようにはしていたが、これでは呼吸が苦しくて仕方ない。
姫からは文句を言われることはなかったが、我慢していたのだろうか。
先程から苦しいとは訴えているのだが、全くもって意見は通らなかった。
恐らく、初めての舞踏会でこういったドレスを着慣れていないと伝えたことも影響しているのだろう。
コルセットが締められれば、クリノリンと呼ばれるワイヤーを輪状に連ねた骨組みをつけられ、その後にドレスが重ねられた。
上流階級のご令嬢の間では、一時期、馬鹿みたいに盛られたスカートが流行したのだが、扉が通れなかったり、暖炉の火が引火したりなど実生活への影響があまりに大きかったので、最近は落ち着いてきた。
私の着ているドレスはボリュームが抑えられているので少し安心した。
そもそもを言うと、舞踏会で踊れないようなドレスを選ぶことはないのだが。

「出来上がりましたわ。」

着付けを手伝ってくれた女性の一人が、フィッテングルームのカーテンを開けた。
クジャは従業員の女性と話しながら、店内のドレスを見ていた。
カーテンが開くのに気がついたクジャはこちらを振り返った。

「こんな感じ。」
「悪くはないね。」

襟ぐりが肩まで開いた青のドレスだった。

「あら、ちょっとクールな感じね。このドレス、デザインがシンプルだから、逆にシルクの質感が綺麗なんですよ。」

先程までクジャと話していた女性が、私の傍に寄ってきて甘ったるい声でドレスについてセールストークを始める。

「こういうのも悪くないんじゃないかい?」

彼女の話を聞いているのかいないのか、クジャは白のドレスを私にあてがった。

「そういう系統なら、こういったものもございますわ。」

着付けを手伝っていた女性が似たようなドレスを持ってくる。
クジャはあっという間に女性二人に囲まれていた。
私が用無しになった頃、残りの一人の従業員から呼ばれた。
クジャと話している二人と比べると、落ち着いた系統の女性だった。

「#name#さん、彼とはご兄妹か何かで?」
「兄妹ではないけれど、…まあ、それに近いものね。」

クジャとの関係について、簡単に説明するのは難しかったため適当に誤魔化した。
彼女からはクジャの服装から食の好み、生活スタイルまで事細かに質問された。
最初に情報を集めておきたいタイプらしい。
私は知っている範囲では答えたが、ほとんど知らないことの方が多かった。
その間も、他の従業員二人はクジャを囲んで話していた。

「元の服に着替えちゃだめかな?コルセット、やっぱり苦しいの。」
「また、試着すると思うのでそのままでいいかと。もし、具合が良くないようでしたら、あちらにカウチがございますのでお使いください。」

相談するが相手にされず、彼女はそのままクジャの方へと行ってしまった。
私は大人しくカウチに座って待っていることにした。
息苦しいのはもちろん、頭痛までしてきて、少し休みたかった。
カウチからは店の奥の方も見ることができた。
クジャがいる方からは、大きなラックが邪魔をして反対側が見えないのだ。

「大丈夫?」

話しかけてきたのは二〇後半くらいの男性だった。
服装からみてこの店の従業員なのだろう。

「…お願いがあるんだけれど、コルセット緩められない?」
「苦しいの?」

私は頷いた。

「待っててね、女性を呼んでくるから。」

彼はクジャと話している従業員の方へ向かおうとするので、止めた。

「待って、相手にしてもらえなかったの。だから、あなたで大丈夫。」
「僕が怒られちゃうよ。だから一応聞いてみるね。」

そう言って、男性は彼女らの方へ向かったが、彼もあしらわれてしまったらしく、一人で戻ってきた。

「言ったでしょ?何かあったら、私がはしたない女って思われるだけ。でもそんなこと気にしてられないの。どうしてものお願い。」
「わかったよ。」

観念した男性は私をフィッティルームへと案内した。

「ごめんね。ここは婦人服のお店だから、男性が来ることは滅多にないんだ。そして久々の男性があんなに整った顔立ちをしてるものだから、みんな興味津々なんだよ。普段はこんなことしないんだけどね。」

彼はドレスをめくり上げ、コルセットの紐を少しずつ緩めていく。

「あなたは男性のうちに入らないの?」
「喜ばれたのは最初だけだよ。気づいたら使用人みたいに扱われてる。」
「それは大変ね。」
「これくらいで大丈夫?」

彼は手を止めて確認した。

「大丈夫。やっと空気がちゃんと吸えるわ。ありがと。」
「あんなに絞りあげられてたら、それは苦しいわけだよ。これでも充分なくらいなのに。」

やはり、締めつけが強かったのは故意のようだった。

「舞踏会に行ったら、どうなっちゃうんだろ。」
「舞踏会に行くの?」

頭の中の呟きが声に出ていたようで、彼に聞き返された。

「うん、初めてのね。」
「もし、あの彼と歩くなら女性は全員敵になるって思って間違いないんじゃない?」
「やっぱり?」

めくれ上がったドレスを直してもらい、彼と私はフィッテングルームを出た。
クジャと従業員の女性達はこちらには気づいていないようだった。

「落ち着いたら、ドレスを見てみたら?男を落とすなら距離はなるべく近い方がいいのと、守ってあげたくなる感じが出てるといいね。とりあえず、大きすぎるスカートはおすすめしないかな。」
「落とすとかまでは考えてないけど…」

私はラックのドレスを眺めていると、一点目を惹くドレスを見つけた。
薄紫色の一言で表現するなら夜空みたいなドレスだった。

「これ、いいかも。」
「そのビスチェドレス、ストーンが星みたいだよね。」

彼も思うことは同じのようだった。

「ちなみに、フィッテングルームの横のラックにあるのが君が試着するドレスだよ。今のところ八着だね。またコルセットを締め上げられる前に、ささっと着てみる?」

それは一大事だった。
私は頷き、再びフィッテングルームへと案内された。
今回の着替えはドレスを変えるだけなので、脱がせて被せるだけで終わった。

「いい感じ。サイズも問題なさそう。」
「うん、似合ってるね。君は華奢だから、案外袖がないほうがいいのかも。」

鏡の前でくるりと一回転してみれば、ところどころに埋め込まれたストーンが煌めいた。

「あとは、OKをもらえるかね。」
「谷間も見えるしいいと思うんだけどな。」

-谷間、ねぇ。

「…そういえば、怒られないの?」
「うーん、怒られるかも。」

彼はもうその辺りは割り切っているようだった。

「ねぇ、君の名前を聞いてもいい?」
「#name#よ。」
「僕はアルテミスっていうんだ。よろしくね、#name#。」

彼はフィッティルームのカーテンを開けた。
クジャはラックの前で私に着せる手筈のドレスを手に取り眺めていた。
ドレスは八着のまま増えてはいないようだった。

「どこに行ったかと思ったよ。」
「ごめん。」

私は謝る。
内心、ドキドキしていた。
着なれないドレス姿を見られているということと、選んだドレスを否定されないかという不安からだった。

「ドレス、似合ってるじゃないか。気になったのかい?」
「うん。一目惚れってやつ。」
「じゃあ候補に加えておこうか。他も着てみてからの方がいいだろう?」

彼の口から出た言葉が肯定的なものだったことに安堵したのも束の間だった。
試着がまた始まったら元も子もない。
私は思考を巡らせる。

-距離が近い方がいい。
-守ってあげたくなる感じ。
-谷間が見える。

どうしてか、頭にアルテミスの言ったこの三つキーワードが過ぎった。
私は心を決めた。
そうする他に手段がないのだ。

「…あのね、クジャ。」

私は手を後ろで組み、伏せ目がちになるべく困った顔を作った。
それから、彼の脇へと歩み寄ると、谷間を寄せるようにして彼の腕に両手を添え、頬を寄せた。

「心、決まっちゃったの。…だから、だめ?」

極め付けに甘い声を絞り出し、上目遣いに彼を見上げる。
我ながら、態とらしいにも程があった。
クジャは狼狽えることもなければ、嫌な顔をすることもなった。
彼は数秒間、私と見つめ合った後に盛大な溜息を吐いた。

「…わかったよ。」

どう思われたかは置いておいて、了承を得ることはできたらしい。
身体を張った甲斐はあったと考えていいのだろう。
こうしてコルセットをまた締め上げられることなく、無事に舞踏会で着るドレスが決まった。
靴やアクセサリーを選んだ後、私は着替えを済ませた。
コルセットを外したら、身体が恐ろしく軽く感じるので驚いた。
来店したばかりの時よりも、従業員の女性達の視線が冷たくなったように思えたのは、恐らく気のせいではないのだろう。
アルテミスについては、私の前で何かを言われることはなかった。

「#name#、また遊びにおいで。」
「アルテミス、いろいろとありがとう。またね。」

帰り際、アルテミスと私は軽く抱きしめ合って別れた。