Hi Betty!

liquid courage

「それで、少しは元気になったかい?」

舞踏会の話が収束しワインボトルが空きそうな頃、彼は私の調子について尋ねた。

「私、そんなに元気なさそうだった?………あのね、ここしばらくはずっと何をしても何も感じなかったの。でも、今日は久しぶりに楽しいって思えた気がする。」
「それはよかったじゃないか。」

そういえば、アレクサンドリアでもそうだった。
クジャは会う度に私の身体に外傷がないか確認した。
そして、"よくもまあ飽きもせずにやってるねぇ"とか"君も物好きだねぇ"などと呆れ気味に吐き捨てるのだった。

「…ずっと、気にしててくれたの?」
「さぁ、どうだろうね。」

彼は、やけに色っぽく迫ってくることもあれば、こうして私を安心させてくれることもある。
不思議な人だった。

「クジャ、ありがと。…私、ブラネ様に依存しすぎてたのかな。」
「側から見たら奇怪な光景だったよ。毎度のごとく殴られ、食器を投げつけられ、それでも君は象女が大好きときた。そういう趣向の人間かと疑ったくらいさ。」
「…それもそうね。」

私はテーブルに置いていたグラスを手に取り、少量、喉に流し込む。
甘い葡萄の香りが口に広がった。

「でも、誰しも何かしらには依存するものだよ。」
「クジャも?」
「たぶんね。」

彼の青い瞳を見つめてみたが、感情は読み取れなかった。

「…クジャがお城に来る前のことよ。私、厨房が苦痛だったの。食器は割れるし、やかんのお湯は吹き出すし、どうしてかわからないけどオーブンを開けるとケーキ型の中に燃えかすしか入ってないの。煙のせいでボヤ騒ぎになった時はどうしようかと思ったわ。それでもなんとかはなるみたい。これも身体に刻み込まれてきたお陰ね。何が言いたいかって、DV男から離れられない女みたいな感じだったけれど、料理はできるようになったってこと。暴力的な料理教室もこれだけやったら充分。そういうことでいいんじゃないかなって。」

何か訴えたいことがあるわけではない。
思い浮かんだことがいつのまにか口に出ていた。
言っていることは、後付けの辻褄合わせに過ぎないが、それでもずっと私の胸の奥に棲み着いていた鈍く重たい何かが浄化されたように思えた。

「君の壊滅的な料理のセンスは置いておいて、よく頑張ったんじゃないかい?」

彼の言葉自体は簡素なものだったが、どこか温かみがあった。

「そういうことにしておいて。」

私は彼に微笑みかけた。

「ねぇ、#name#。」

クジャが私の名前を呼んだ。

「なに?」

と私は返事をした。

「君をこんなに近くに感じるのは初めてかもしれない。」
「そう?よく抱きしめてるのに?」
「物理的な距離じゃない、気持ちの話だよ。」

クジャの言う通り、私は彼を距離の近い気のおける人物とは思っていなかったが、決して悪い意味ではなかった。

「だって、私から見たらクジャは遠くの人よ?」

綺麗で知的で少し皮肉屋な、私とはかけ離れた身分の人。
私が彼をどう見ているかを説明するなら、こうなるのだと思う。

「今もかい?」
「うーん、今はそうでもないかな。お酒のせいかも。そういえば、こんな風に私のことを話したのは初めてね。」
「君が心を開いてくれないから。」

クジャは私を向かい合うように膝の上に乗せ、抱きしめた。

「心臓の音が聞こえる。」
「心拍数が上がってるかもしれないね。」

私はクジャを見上げた。

「どうして?」
「どうしてだと思う?」

私を見下ろす彼の表情が酷く艶やかに見えた。

「私のこと、欲しいの?」
「欲しいって言ったらくれるのかい?」

何故、私はこんなことを聞くのだろうか。
どうして、彼は否定的な言葉を発しないのだろうか。

「どうだろ。まだ自分で部屋に帰れるし、それに、誰かの側にいるってすごく怖いことってわかったの。」
「なら、離れていってしまうのかい?」

彼は私を惑わせるのが得意なようだった。

「わからない。このままいたら私、クジャから離れられなくなっちゃうのかな?」
「君がそれを望むなら、ね。」

…望むなら。
私が今、彼といることに居心地のよさを感じているのは事実だった。
どこかでこの状態がこのまま続けばいいと思っていることも。

「ねぇ、好きになるってどういうこと?」

この気持ちを私が知っている言葉に置き換えようとすると、この単語しか思いつかなかった。
クジャは知っているのだろうか。
いや、彼なら知っているような気がするのだ。

「…#name#。」

彼の指先が顎に添えられたのが合図だった。
唇が触れ合い、大きな手のひらが頬を包み込んだ。
何も考えることなどなかった。
ゆっくりとお互いの唇の感触を確かめ合い、それが必然であるかのように舌先を絡めた。
どちらがどちらなのか、わからなくなるくらいに思考は蕩けきっていて、心臓が壊れそうなくらい鼓動していた。
唇が離れる頃には、身体の力など抜けきっていて、自然と彼にもたれかかる体勢となった。

「クジャ…、あんまり弄ばないで。」

目に涙が溜まっていることにやっと気づいた。
そして、何を失ったのか喪失感のようなものが胸の辺りで騒いていた。
自分に何が起きているのか理解ができなかった。

「弄んでなんかないさ。好きになるのがどういうことかは、自分で確かめてみたらどうだい?」

既に答えは出ているのかもしれない。
しかし、決心がつかなかった。

「今ね、このまま離れたくないって思ってるの。…でも、すごく怖い。」
「そうかい。それはそれは随分と可愛らしい誘い文句じゃないか。」

クジャは私の身体を包み込んだまま、離さなかった。
ずっとずっと、永遠にこの時が続くのではないかとさえ錯覚した。