Hi Betty!

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#name#は真っ白なティーセットをテーブル並べる。
それらは置くたびに、コトッと小さく子気味のいい音を立てた。
#name#はこの小振りながらも質感のあるティーセットを気に入っていた。
ティーセットは、このトレノの屋敷の主であるクジャ様と一緒に購入したものだった。

クジャ様と初めて出会ったのは、半年ほど前だっただろうか。
当時、私はアレクサンドリアの女王、ブラネ様の侍女で、ブラネ様の身の回りのことはもちろん、来客があればその対応もしていた。
クジャ様は、半年ほど前からブラネ様とよく面会するようになり、その頃から私も顔を合わせるようになった。

トレノの武器商人と名乗るクジャ様は謎の多い男だった。
事の始まりは、ブラネ様の元に軍事力を強化しないかといった旨の書面を送られてきたことだった。
ブラネ様は最初こそ怪しげな書面と訝しんでいたが、内容を読んでからの動きは燕返しのごとく、鮮やかでスムーズだった。
ブラネ様はクジャ様との面会を取り付け、クジャ様はその面会にて黒魔道士の生産や、召喚獣の入手方法など、ありとあらゆる不穏な内容をブラネ様に吹き込んだ。
それからというもの、ブラネ様はことあるごとにクジャ様に相談を持ちかけるようになる。
クジャ様は何でも知っていた。
ブラネ様はクジャ様に言われるがまま、提案を受け入れ、クジャ様は着実にブラネ様の信頼をものにしていった。

私はブラネ様の側近であった為、様々な内容を知ることができた。
同時に、クジャ様がアレクサンドリアに戦争を起こさせかねない人物であると悟っていた。
しかし、私にとってはたいしたことではなかった。
アレクサンドリアが戦争を起こそうが、何をしようが、私はただブラネ様に従うだけ。そう決めていたからだ。
だから、常にブラネ様の側にいることを許されていたのかもしれない。
私はブラネ様に反抗することも、聞いた内容を口外すこともないからだ。
無論、この先もずっとブラネ様のお側にいるのだと思っていた。
しかし、事件は数日前に起こった。

***

それは、何度目かのブラネ様とクジャ様の面会でのことだった。
面会の際に、紅茶と茶菓子をお出しするのはお決まりだった。
私はその日もそれらの準備をしていた。
いつもと変わりないティーポットに昨日仕入れたばかりのローズヒップティーの茶葉を入れ、お湯を注ぎ、トレイに乗せ、いつもと同じ階段を登り、二人が待つ迎賓室へと運んだ。
そこまでは順調だったが、迎賓室のテーブルにトレイを乗せたその直後に事件は起きた。
私がブラネ様の前に、ティーポットを置こうとした時だった。
クジャ様との会話で気分が高揚したブラネ様の感情のままに振り上げた腕が、私の持つティーポットに丁度ぶつかったのだ。
宙を一回転したティーポットはテーブルをころころ転がり、地面に落下し、大きな音を立てて割れた。
地面を見ると花弁が散るかのように、白い破片が散らばっていた。
ブラネ様に紅茶がかからなかったのは幸いだったが、代わりに私のエプロンと靴下に赤茶色の染みができていた。

「何をしておるのじゃ!!」

ブラネ様の怒声が響いた。
しかし、これくらいは聞き慣れたものだった。
紅茶や茶菓子の好みが合わなければ、必ずと言っていいほど、怒声を浴びせられ、ティーカップやお菓子の乗った皿を投げつけられ、酷い時には拳が飛んできた。
この怒声はまだ第一段階であり、たいして珍しいものでもなかった。
そしてそれは、クジャ様の前であろうとも変わらずに行われていた。

「申し訳ございません。ブラネ様にはかかっていないでしょうか?すぐ、片付けます。」

私は謝り、紅茶がかかっていないと知りつつ、ブラネ様を心配する。
食器か拳のどちらかが飛んでくるかもしれない。
避けようと思えば避けれるのだが、以前それをして、更にブラネ様の機嫌を損なうこととなったので、最近はおとなしく制裁を受けることにしている。
結論から言うと、私の予想が当たることはなかった。

「#name#、お前は今ここで解雇じゃ!!これを片付け終わったら、すぐ荷物をまとめて出て行け!!」
「ブラネ様…?」

モップとチリトリを取りに行こうとする足が固まる。

「もう、二度とその顔を見せるでない。」

ブラネ様は改まった調子で言い放つと、冷えた目で私を一瞥した。

「そんな…でも…」

何と言ったらいいのか分からなかった。
紅茶を零したのが私であることは事実なのと、まだ側に置いてほしいと懇願しようにも、先程の出て行けという言葉が刺さったままで、上手く頭が回らなかった。

「女王陛下、私めのお願いを聞いていただけますか?」

私が口を噤んでいると、この場に似つかわしくない艶やかな声が響いた。
声の主はにこにことした視線をブラネ様に向けている。

「その願いとやらを言ってみよ。」

ブラネ様は重厚感のある声で、クジャ様の発言を許可した。

「ありがとうございます。そこのボロ雑巾みたいな彼女をこの私にいだだけないでしょうか?」

クジャ様は首を傾げてみせる。
ブラネ様は怪訝そうに顔を歪めた。

「そんな小娘を持ち帰って、何に使うつもりじゃ。」
「若い娘は高値で売れます。この見た目であれば、なかなか良い値になるかと。それに、私の屋敷でも人手が足りていないもので。…まあ、過酷な労働になるので、どちらにするかは要検討ですが。…兎にも角にも、ここで野放しにしてしまうのは、如何なものでしょう?少なくとも、彼女はここでの会話を耳にしている筈ですし…」

クジャ様は態とらしく唇に指さきをあてる。
色っぽい仕草とは裏腹に、話している内容は残酷なものだった。
要するに、口封じをしておきたいのだろう。

「ふん、勝手にするがいい!」
「ご理解いただけて、何よりです。」

ブラネ様の了承は得られたようだった。
クジャ様は優雅に会釈する。

「#name#、片付け終わったら、入り口のホールで待ってるんだ。」
「…承知しました。」

私はクジャ様と短くやり取りを済ませ、モップとチリトリを取りに迎賓室を出た。
もうどうなってもいい。何も考えたくない。そんな気分だった。

ブラネ様との面会を終わらせたクジャは、約束通りにだだっ広いホールまでやってきた。

「毎度ながら、君は不運だねぇ。」

そう言いながら、クジャ様は私にケアルをかけた。
最近よくある流れだった。
クジャ様はブラネ様と私のやり取りを見兼ねて、二人だけの時に火傷や打撲を治してくれていた。

「…ありがとうございます。」

これから私の身をいいようにしないであろう人物に対してお礼を言うのも、なんだか不思議な感じがする。

「#name#、荷物をとっておいで。あまり長居すると象女に怪しまれるし、あまり物は積めないから、必要最低限の物だけかな。」
「売りに出すか、過酷な労働をさせるのでは?」

荷物など持って行っても邪魔になるだけな筈だ。
もし情なのであれば、余計なお世話だ。
最後の振り返りだなんて、虚しい行為はごめんだった。
私が質問を投げかければ、クジャ様は笑った。

「本気にしたのかい?あんなのは口実だよ。前々から君のことが欲しいって言っていた筈だけれど。」

そんなこと、言われただろうか。
言われたといえば、言われたかもしれないし、匂わせる程度だったと言えば、そうだったのかもしれない。
いずれにせよ、クジャ様が私をからかって遊んでいるといったくらいにしか思っていなかった。

「やっぱり、クジャ様の考えていることはよくわかりません…」
「そうかい?とんだ幸運に巡り合っただけだよ。君にとっては、そうじゃないだろうけどね。」

私は簡単に荷物をまとめ、クジャ様と一緒にアレクサンドリア城を出た。

***

こうして私はトレノで生活をすることとなった。

「クジャ様、ミルクはお使いになりますか?」
「…#name#、言った筈だけれど。」

あらかじめ言われていた訳ではないが、クジャ様が私を引き取ったのは、小間使いとして働かせるためなのではないかと、勝手に想像していた。

「ごめんなさい、まだ慣れないの。なんていうか、これ、すっごく不自然。ミルク、いる?」

しかし現実は、この通り、様づけ、敬語が怒られる始末だ。
そして今後もこのやり取りは度々発生した。

「最初だけだよ。ミルクは別にいい。」
「…そうかもしれないけど。」

アッサムはミルクが合う茶葉だというのに。
心の中でそう思ったが、口に出すことはなかった。

「ただ、敬語じゃなくなったら、少し幼く感じるよ。」
「そうしろって言ったのはクジャよ。」
「知ってる。それはそれで悪くないよ。だから、おいで。」

クジャは私の髪を撫でる。私にはその行為に何の意味があるのか、理解ができなかった。
アレクサンドリアを離れてからの私は引越しの後のクローゼットみたいに空っぽだった。

「こういう感じ、なんでかな…。なんかよくわからない。」
「でも、拒絶はしないんだろう?」
「特に理由がないの。」
「理由がない、ねぇ。」

何をしたい、どうしたい、そういった気持ちが今の私には欠けている。
クジャは私に何を求めているのだろうか。私の彼に対する態度は冷たいのだろうか。
考えても分かる気がしなかった。いや、そもそも分かろうとする気力がないのかもしれない。
クジャは、興味がなさそうに首を傾けるが、しばらく私を離すことはなかった。
彼の時折触れる指先、そこから伝わる体温は、どこか心地よくもあり、毛繊維みたいにチクチクと私の奥底を刺激した。